氣志團のボーカル綾小路翔(あやのこうじ しょう)さんですが、父親がサッカー選手だったと話題です。
- 綾小路翔の父親が所属していたサッカーチームはどこ?
- 綾小路翔の父親はどんな人だった?
といった内容でまとめました。
綾小路翔の父親・馬場豪毅のサッカーチームは三菱重工
物心がついた頃、父の愛車は黄色いビートルだった。兄弟色違いで乗っていて、今も写真で見ると凄く可愛いのだけど、同じ団地の子達からバカにされていた為、当時は好きじゃなかった。妹が生まれて手離したものの、晩年は再びニュービートルのカブリオレを乗り回していた。さらば父、さらばビートル。 https://t.co/ItkHEz54Mi pic.twitter.com/Ojix04v4S9
— 綾小路 翔 (@ShowAyanocozey) July 11, 2019
綾小路翔さんの父親の名前は、馬場豪毅さん。
ちなみに綾小路翔さんの本名は、馬場直(ばば なお)。
馬場豪毅さんが所属していたサッカーチームは、三菱重工サッカー部。
私の父は岩手県立遠野高校で選手権出場、インターハイでは準優勝してます。その後は三菱重工でサッカーをやっていましたが、心臓の病気で断念。今はマスターズの千葉代表でプレイしてます。 RT @omae127 翔やんのお父様がサッカーやられてたんでしたっけ?選手だったのですか?
— 綾小路 翔 (@ShowAyanocozey) June 19, 2010
三菱重工サッカー部は、浦和レッズの前身となるチームです。
三菱重工サッカー部は強豪チーム
三菱重工サッカー部は1950年に「中日本重工業サッカー部」として創設されました。1958年に「三菱重工業サッカー部」に名称が変更されます。
Jリーグが創設される前の日本サッカーリーグには1965年の創設時から参加している古参チームです。
1978年にはリーグ戦、カップ戦、天皇杯優勝と3冠を達成するなど強豪チームでした。
現在は浦和レッズとなりましたが、当時の赤を基調としたユニフォームは今でも受け継がれています。
残念ながら当時の写真や映像は残っていないため、お父様がプレーしている姿は見つけることができませんでした。
三菱重工に所属していたのはいつ?
綾小路翔さんの父親、馬場豪毅さんが三菱重工に所属していたのはいつなのでしょうか?
馬場豪毅さんの生年月日は不明ですが、2019年4月、67歳で他界したことを綾小路翔さんが自身のインスタグラムで報告しています。
そこから計算すると、1952年生まれと推定できます。
高校卒業後に三菱重工に加入したということで、だいたい1972年頃から日本サッカーリーグで選手として活躍していたと仮定。
しかし綾小路翔さんによると、若くして心臓病によりサッカー選手を引退したということです。
長く見積もって30歳までプレーしたとしても1982年まで。おそらくそれよりも短い期間だったと思われます。
引退後もサッカーにたずさわる
お父様は、引退後も少年サッカーの指導者や、シニアの千葉県代表選手として活動していました。
人生のほとんどをサッカーに費やしたと綾小路翔さんが語っています。
綾小路翔の父親・馬場豪毅さんはどんな人だった?
綾小路翔の父親・馬場豪毅さんはいわゆる「昭和の父親像」そのままの人物だったそうです。
礼儀に厳しく毎日怒られていたと綾小路翔さんが語っています。
家庭の中では極めて厳格な父で、礼儀作法、言葉遣い、整理整頓、勉強、歩き方、箸の使い方までとにかく厳しく、細かく、毎日のように怒られたものでした。
引用:Instagram
小学生の間は、夜8時半就寝が義務づけられていて、アニメも見せてもらえなかったといいます。
しかし音楽と出会ったのも、その義務のおかげだったようです。
唯一父の目を逃れられる場所が布団の中。しかし、そこでこっそり聴いていた深夜ラジオが、今現在の僕の仕事である音楽との出会いの場所となりました。
引用:Instagram
綾小路翔さんにとってお父様は、最大のライバルでもあり「音楽なら親父のサッカーに勝てるかもしれない」とギターを手にしたといいます。
まとめ:綾小路翔の父親・馬場豪毅のサッカーチームは三菱重工
氣志團のボーカル綾小路翔さんの父親についてまとめました。
- 三菱重工サッカー部でプレーしていた
- 引退後もサッカーにたずさわる
- 昭和の父親像のように厳しい父親だった